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レディの介護日記
2002年2月〜

 2月1日 
am1:55に痰が絡んで起きてしまいました。部屋の中を少し歩かせるとオムツにオシッコをしました。
横にしても「ゼェーゼェー」と苦しがって眠ろうとしません。
am2:50に吸引しました。すると呼吸が楽になりam3:07に眠ってくれました。
am4:50に「ゼェーゼェー」していたのでレディを見ると首を持ち上げるように部屋の中を見回していました。
この時、私にはロッキーが迎えに来たように感じられました。
ウトウトとしていた時に介護服を着たロッキーと歩いている夢を見ていたのでそう感じたのかも知れませんが?
レディを抱っこしたり立たせたりしていたら、ぐたっとしたので横にしたらam5:30に眠ってくれました。
一晩中痰が絡んで呼吸が苦しそうでした。特に朝方がひどいように感じます。

am6:30に痰が絡んで起きてしまったので、吸引したらそのまま眠ってしまいました。
呼吸も穏やかになったのでam7:50に起こして流動食を食べさせました。よく食べたほうだと思います。
am8:05庭に連れて行き支えて立たせていたら、オシッコをしてくれました。
布団に寝かせると痰が絡んで呼吸が荒くなりとても苦しいようで「ワンワンワン」とかすれた声で鳴きました。
濡らしたガーゼで痰を拭ってやりました。(4回)
am8:20こたつの布団に寄りかかるように眠りました。

レディが鳴くのは痛かったり苦しかったりした時なので、(発作の時もそうでした。)
見ていてとても可哀想で代わってやれるものならば代わってあげたいと思います。

am10:34バタバタしていたので見に行くと、口を開けたままで呼吸が弱く、一瞬ひやっとしました。
抱き上げて胸を叩いていたら呼吸が戻りました。注射器で水を飲ませると飲み込みました。
少し立たせておむつ交換をしてレディの布団に横にするとam10:44に眠りました。

   
(寝たばかりのレディにじゃれるアニーですが、本当に悪い時は近寄らないのでまだ大丈夫かな?)

am11:20に「ゼェーゼェー」し始めました。濡らしたタオルで痰をかきだしました。(3回)
痰のようなものと黄色い唾液のようなものがタオルに付着しました。
黄いろの色は、サラゾピリン錠の色です。朝の薬がちゃんと飲めていなかったのでしょうか?
am11:46少し呼吸が楽になったようで眠ってくれました。

pm1:30「ゼェーゼェー」し始めたので痰をかき出しました。(4回目の時にタオルに少し血が付きました。)
流動食を食べさせましたが、痰が絡んでしまい上手く飲み込めずほとんど残してしまいました。
横にすると「ゲェー」と痰を出そうとし、苦しいのか「ワンワン」と鳴きました。
その後もう一度痰が苦しいらしく「ワンワン」と鳴きました。呼吸がとっても荒くなっています。
pm1:44起き上がり少し歩かせてみました。そしてpm1:55にお布団で寝ました。
pm2:10から「ゼェーゼェー」し始め、少しして治まったかと思ったらまた始めるを繰り返しています。

pm2:50にウンチをしたいようだったので、
いつものようにレディの身体を両足で挟んでウンチを搾りだそうとしましたが頭の方から倒れてしまいました。
仕方がないので横に寝かせてウンチを搾りました。小さな柔らかいウンチを2つしました。
オムツに少しオシッコの後がありました。オムツを取り替えていると眠ってしまったので布団に移しました。

その後も何度も「ゼェーゼェー」を繰り返していますが、タオルで拭った時に喉の粘膜を傷つけたような気がして
痰をかきだすのをためらっています。可哀想だけれどもう少し様子を見ようと思っています。

pm7:00に流動食を食べさせました。少しだけ残しましたが良く食べたほうです。
その後も、「ゼェーゼェー」して呼吸が荒く苦しそうでした。
pm10:35に主人に手伝ってもらい痰を吸引しました。(喉の傷は心配ですが余りにも苦しそうだったので)
pm10:50に柔らかいウンチしてpm11:05に眠りました。
眠りながらも「ゼェーゼェー」していました。

2月2日


 一晩中「ゼェーゼェー」と苦しがり、朝までに2回吸引しました。
オシッコの後に着替えをさせ、左側の前後の足の関節にバンテージを巻きました。
関節のところの毛が抜けて皮膚が見えてきたので、床ずれ予防の為に巻きました。

痰が絡んでいる時に音にならない声で何度もワンワンと鳴きます。
痛いのか?苦しいのか?一生懸命の意思表示?をしています。
オシッコをオムツにしたときもワンワンと鳴きました。
レディは何年か前から吠えなくなりました。若い時はうるさいほどでしたが・・・
それが、昨日から鳴くようになったのです。(過去の発作時に1度鳴きました。)
レディが昔に戻ったような気がしています。(が、娘は否定しています。)
そして、am5:00に静かに眠ってくれました。

am7:25に起きたので少し歩かせました。
am7:45にレディを両足で挟んで支えてウンチを搾り出しました。頭の方は娘が支えてくれました。
柔らかい血の混ざった物でした。
その後「ゼェーゼェー」と苦しがりワンワンと鳴きました。
流動食を食べさせても、痰が絡んでゴックンができません。落ち着くのを待とうと思いました。
am8:05に横になったまま柔らかいウンチを介助なしでしました。
「ブスコパン錠」と「サラゾピリン錠」を飲ませました。
am8:30娘に手伝ってもらい痰を吸引しました。
am9:05に静かになって眠りました。
am10:30バタバタしていたので見に行くとオムツにオシッコをしていました。
痰をタオルで拭い取ってから(2回)朝ほとんど食べなかった流動食を食べさせました。
半分位は食べたと思います。
am11:12に頭を撫でていたら眠りました。
眠りながらも「ゼェーゼェー」と呼吸が荒いのが気になります。

pm2:10に「ゼェーゼェー」し始めたので、タオルで痰をかきだしました。(2回)
流動食を食べさせると、良く食べてくれました。
pm2:35に眠りました。
眠ったままのレディを車に乗せて病院に行きました。
下痢止め入りの栄養剤の皮下点滴を打ってもらいました。
体重を量ってもらったら
5,2kgでした。1週間前には5,4kgだったのでー0,2kgでした。
pm5:00 帰宅後に血の混ざった緩いウンチをして眠ってしまいました。

レディには、やってあげられる事は全てやったと思っています。
出来ることならば、最後は苦しまないで穏やかに眠るように逝って欲しいと思っています。

pm7:50に起こして流動食を食べさせました。半分位は食べる事ができました。
サラゾピリン錠を飲ませた時に気管支の方へ入ってしまったようで一瞬口や舌がチアノーゼになってしまいました。
咳き込み苦しがったので胸を叩いたり抱いていたら落ち着いてきました。pm8:05に眠りました。
pm10:45にワンワンと鳴くので起き上がらせて見るとオムツにオシッコをしていました。
その後、痰が多く絡んで苦しがったのでpm11:40に吸引をしました。
pm11:50に静かになって眠りました。


2月3日
 am2:25にワンワンと鳴いたのでオムツをチェックするとオシッコをしていました。
「ゼェーゼェー」していましたが、オムツ交換を終えるとすぐに眠りました。
am5:15にもワンワン鳴くので見てみるとやっぱりオムツにオシッコをしていました。
この時も、オムツ交換が終わる頃には眠ってしまいました。
昨日もオムツにオシッコをした時にワンワンと鳴いて教えてくれましたが、たまたまかな?と思っていました。
夜中にワンワンとオシッコを教えてくれた事でレディはちゃんと意思表示が出来るんだと確信しました。
レディがオシッコを教えてくれる。ちゃんと意思表示が出来ることがとても嬉しくて、嬉しくて・・・
「ゼェーゼェー」のほうは一晩中続いていましたが、特に吸引はしませんでした。

am7:05にワンワンと「オシッコしたよ。」と教えてくれました。
起き上がらせてオムツの交換をする時に下痢のウンチをしました。
身体を立たせた状態で支えていると頭が少し下がり、口から痰をダラダラと出しました。
着替えをして横にすると呼吸も落ち着いて眠ってしまいました。
am7:30 眠っていましたが落ち着いていたので、起こして流動食を食べさせました。半分位食べました。
am7:48に「ブスコパン」「トランコロン」(下痢止め)、「サラゾピリン」のお薬を飲ませました。
am8:00に眠りました。
am11:00に痰が絡んで苦しくて起きてしまいました。オムツにオシッコを少量していました。
am11:20にホットカーペットの上で横になって眠ってしまったのでしばらくそのままにしていました。
5分位後にお布団に移しました。

pm1:25「ゼェーゼェー」し始めて起きました。
喉に何かが詰まっている感じがします。ワンワンと苦しそうに鳴いていました。
横に寝かせて流動食と水を飲まそうとしても、ワンワンと鳴き飲み込もうとはしませんでした。
立たせて少し部屋の中を歩き、こたつの布団に寄りかからせて
痰をかきだす為に濡らしたタオルで口の中をぬぐうと透明の粘々した唾液がいっぱい付いてきました。
それと同時に黄色の痰の混じった物を嘔吐しました。
嘔吐したあとは呼吸も落ち着いてきたので、水を飲ませました。
pm1:50目を開けたまま眠っていました。
無理に流動食を食べさせても全部出してしまうし、嘔吐も心配なので残りを食べさせるのを止めました。
pm2:15痰が絡んで呼吸が苦しそうでした。ゼェーゼェーしています。
pm3:25呼吸が荒く苦しそうです。少し部屋の中を歩いてから、こたつに寄りかからせて痰をかきだしました。
濡れたタオルで2回かきだしました。黄色の粘々したものが付いてきました。
pm3:47少し楽になったみたいで眠りました。

pm5:25呼吸が荒く苦しそうにゼェーゼェーして起きました。鼻も乾いています。口を開けて呼吸しています。
pm5:40タオルで痰をかきだしました。(4回)
pm5:45流動食を食べさせましたが、ゼェーゼェーして飲み込めません。タオルで3回痰をかきだしました。
それでも、呼吸が荒く苦しそうなのでpm5:55に吸引しました。
口角のところから出血してしまう。吸引で疲れてしまったようで目を開いたまま眠ってしまいました。
水を飲ませても飲もうとしないのでそのまま寝かせる事にしました。
pm6:45ゼェーゼェーとし始め起きてしまいました。
pm7:00に吸引すると沢山の痰を吸い出すことができました。
pm7:10流動食を少しだけ飲み込んでくれました。
呼吸も少し落ち着いたようでpm7:20に眠りました。

今朝からオシッコは2回だけしかしていません。それに下痢をして流動食も僅かしか食べれていません。
体重も減少して、おまけに痰が絡んで呼吸も荒く苦しそうです。
レディは11/13に最後の発作を起こした時から、よく頑張ってくれたと思います。
そして、私たち家族に心の準備もさせてくれたとも思います。
ただ、今みたいに苦しんで逝って欲しくはありません。
もしも、神様がいらっしゃるのならばレディが逝く時は穏やかに苦しむことなく逝かせてください。
痰で苦しむ姿はあまりにもかわいそうです。
もう時間がないのがわかります。
お願いです。レディが逝く時は苦しませないで下さい。それが私たち家族の願いです。
もしも、レディへの願いが叶うことなく苦しんで逝ったとして・・・
辛くても目を背けることなくしっかりとレディの生き様をここに記したいと思っています。

pm10:10 ゼェーゼェーと苦しいのか起きてしまいました。
pm10:20に濡らしたタオルを手に巻いて痰をかきだしました。(5回)
少し楽になったようでpm10:30に眠りました。


2月4日
am2:20にワンワンと鳴いたのでオムツを見るとオシッコをいっぱいしていました。
前日は、オシッコの回数も量も少なかったのでいっぱい出てよかったと思いました。
呼吸の方は痰が絡んで苦しそうです。
鼻から呼吸ができないようで(鼻が詰まっている感じ)口を開けてゼェーゼェーしながら呼吸をしています。

am2:30に吸引をすると痰が少しだけ取れましたが、吸引の最中に気管支の方に痰が入ってしまったようで
呼吸が止まってしまい、慌ててレディを抱き上げて胸やら顔やら叩きました。
心臓は動いていましたが意識はありませんでした。
叩いていたら呼吸は戻ったみたいですが弱々しく苦しそうに口で息をしている状態なので
レディはもう駄目だと思いました。

am2:34 2階で寝ている娘を呼びました。
アニーを抱いて2階から慌てて降りてきました。
レディはもう駄目かも知れないと娘に言いました。

皆でレディの側で頑張ってと祈りながらレディの身体を撫でたりしていました。

am2:40 痙攣の発作の時のように両方の前足が突っ張って、首を仰け反り
舌を喉の奥に巻き込んでしまい一瞬呼吸が止まってしまいました。
赤かった舌の色がすぐに白くなっていきました。
主人がガーゼで舌を引っ張り出すと口の横からダラーっと舌がでました。
と同時に呼吸も戻りました。

あわてた私は抗痙攣剤の薬を水でといて注射器と一緒に持っていくと
「それを飲ませるのか?」と言われました。
はっとしてレディをよく見ると、薬を飲める状態ではありませんでした。
この時、レディの両目からたくさんの涙が溢れていました。
身体を擦っているとそのまま眠ってしまいました。




レディが今まで良くなったり悪くなったりを繰り返していたので
この山を乗り越えてくれたらば起き上がることは出来なくなるかも知れないが寝たきりになっても
まだ一緒にいられるんじゃないかな?と思っていました。
この時は寝たきりでもいいから一緒にいたいと思っていました。

レディは自尊心の強い子です。
レディは寝たきりなってまではいたくはなかったのでしょうか?
相変わらず鼻が詰まっているようで口で呼吸をしています。
とても、辛そうな息遣いです。

am4:15にゼェーゼェーと荒く苦しい呼吸になってしまいました。
ワンワンと鳴いたのでオムツを見るとオシッコをいっぱいしていました。
2時間前にいっぱいしたばかりなのに?

オムツを交換すると少し静かになったので「レディは大丈夫だから」と娘と主人に寝てもらいました。
鼻からではなく口からでしたがこの時はレディの呼吸は少し普通に戻っていたように思います。
レディの側で主人と娘とアニーが横になってしばらくすると
レディがワン・・・ワン・・・ワン・・・と鳴き始めました。

am4:40に寒くて鳴いているのかな?と思ったので
布団の下に敷いている電気のひざ掛け毛布のスイッチを入れました。
そして、お水を注射器で飲ませました。

痰が絡んでゼェーゼェーしてきて、呼吸も荒くなり、唇や舌の色が赤かったのが段々と白くなってきて
レディの鳴きかたが何かを教えるような鳴き方と違うように思いました。

私がレディの側を少し離れる時に「レディを見ていて」と主人を起こしました。
戻ってくると娘も起きていてレディの側にいました。

私には「もういってもいいでしょ?もう疲れたよ」とレディが訴えているように思えました。

am5:18にオシッコを横になったままオムツにしました。
主人と娘にレディを抱っこしてもいいか?聞きました。
私が抱いたらレディが安心して旅立つように感じていました。
私はもうレディを楽に自由にしてあげたいと思っていました。

そしてレディを抱っこした時に一瞬呼吸が止まった感じがして、すぐ布団に寝かせました。
荒く息苦しそうな、でも弱い呼吸をしていました。
その呼吸も段々とゆっくりになっていき、心臓の鼓動も段々と弱くなり間隔もゆっくりになっていきました。
気がつくとレディの呼吸が止まっていました。その後心臓も止まりました。

手足をばたつかせる事もなく、嘔吐や血便を出すということもなく、
ただ心音が弱くなって止まったという感じでした。


2002年2月4日(月) AM5:26 
立春の今日 レディは虹の橋へ旅立ちました

これでよかったんだと思いました。
これでやっと自由になれるとも思いました。
悲しみの中に安堵感もありました。

私たち家族は意外と冷静でした。
身体が硬直する前にと・・・
レディの介護服を脱がせて靴下とバンテージも取り除きました。
そしてレディの被毛を櫛で整えて、きちんとお布団の上に安置しました。
骨がゴツゴツしていて、お腹がぺちゃんこでした。
こんなガリガリの身体でよく頑張ったね。本当に偉かったね。
レディの毛も艶々していて、とても亡くなったとは思えませんでした。
身体はまだ温かく何度も胸に手を当てましたがもう動いてはいませんでした。

私は、レディの身体を整えてから、PCの前でmailを打っていました。
娘は仕事に行く準備をしていました。
主人は食事の支度をしていました。
次に私はレディを荼毘に付すお寺を探して電話で予約をしました。
2日後の2/6am9:00に決まりました。

今レディを安置している部屋が暖かいのでレディが傷んでしまうと困るので
そして、アニーがじゃれないように他の部屋へ安置しなおしました。
主人は部屋の中を片付け始めたり、車の中のレディの毛布を洗濯し始めました。
兎に角動き回っていました。
娘が出勤した後もレディの使っていた布団や介護服、毛布などを洗濯していました。
主人に「娘が帰ってきたら怒られるわよ。レディのものを片付けたって・・・」と言いましたが、
主人の気持ちは痛いほど分っています。
子供にはした事のないことまでもレディにはやっていました。
主人は居ても立っても居られない状態なのです。
私が先住犬のロッキーを亡くした時がそうでしたから、よく分ります。
我家でひどいペットロスに陥った主人はずーっと泣いていました。
私も悲しいのですがこんな時って先に泣いた方が勝ちですよね。
おかげで私はしっかりしていられました。

部屋を片付けてレディをきちんと安置してからお世話になった病院に挨拶に行きました。
その途中も青信号でボーッ止まっていたり、道を間違えたりと主人は尋常ではありませんでした。
先生方に「レディは夜中に2回呼吸が止まったけれど蘇生して、3回目の時に旅立ったこと」をお話しました。
先生方からは「ここまで介護をされて、レディは幸せだったね。
ここまでやったら思い残す事もないでしょう。本当に良く頑張ましたね」と言われました。
私たち家族を気遣っていただき、ありがたく思いました。
そして、お礼を申し上げて病院を後にしました。

病院からの帰りに綺麗なダンボール箱をもらってきました。
自宅に着いて主人がレディを入れる箱を作っていました。

午後に主人とアニーを連れてレディの大好きだったケンタを買いに行きました。
帰宅するとお花がいっぱい届いていました。
お花を見るたびに送ってくださった方々の優しい気持ちに包まれて嬉しくもあり
また、レディを失った悲しさも込み上げてきました。
私の母や主人の両親や妹がレディにお線香をあげに来てくれました。
夕方には友人がレディにお別れを言いにきてくれました。
みんなの気持ちが嬉しかったです。
本当にレディは幸せな子だと思いました。
メールやここの掲示板でもレディへのお悔やみのお言葉をたくさん頂き本当にありがたく感謝しております。
メッセージを読むたびに家族全員で涙しておりました。
長い間、皆様からの暖かい励ましのお言葉でどれほど勇気と力を頂いたか判りません。
レディが亡くなった後も私たち家族にまで優しいお言葉を掛けていただきまして
本当にありがとうございました。

2月5日 am0:33に目が覚めてしまい、レディにお線香をあげました。
レディはたくさんのお花に囲まれてすやすやと眠っているようでした。
身体を触るととっても硬くてとっても冷たかった。
身体を撫でていたら、悲しくて辛くて泣けてきました。
でも、レディの死を辛くても受け止めなければいけないと思いました。
「レディありがとう。本当にお疲れ様でした。」
夜が明けるまで仮眠をしたり、レディにお線香をあげたりしていました。
am5:26を迎えるときがとても辛かったです。

主人と娘が出勤し、午前中に写真屋さんに行ったりして気を紛らわしていました。
午後になって綺麗なお花が次々と届きました。
お花が届く度に涙がこぼれました。
主人と娘が帰宅してからレディの仏具を買いに行きました。
外で食事をしながら、レディのことをいろいろと話しました。
3人ともレディにはしてやれることは全てやったので悔いはありませんでした。
これで良かったと思っていました。
帰宅後レディを見ると穏やかな顔をして眠っていました。


2月6日
昨日からの雨が心配でしたが朝には雨も上がりました。
いよいよレディとお別れです。
昨日から、迷っていましたがやっぱりレディの毛を貰うことにしました。
ロッキーのときはまだ、若かったので身体を整える時にいっぱい毛が抜けたので
それでピンクッショを作りしばらく手につけて心の安定を図ったりしていました。
レディは身体を整える時に毛が抜けなかったのでどうしようか?迷っていたのですが
主人と娘に頼み込み少しだけレディの毛をはさみでカットさせてもらいました。
もう一度レディの身体を整えて主人の作った箱にバスタオルを敷き、レディをその中に収めました。
そして寒くないようにお花をいっぱい入れました。



am7:36にレディといっしょに我家を後にして白峰寺へ向かいました。
am9:00 僧侶の方にお経をあげていただきお焼香をすませ荼毘に付しました。

am10:30 お骨上げです。
レディのお骨は潔いくらいしっかりして凛としていました。
18歳5ヶ月とは思えないほどしっかりした物でした。

喉仏もしっかりと残っていましたし、頭蓋骨を見るとそこには毅然としたレディの姿を感じることができました。
レディのお骨を見て私が感じた事は「レディは立派だと、凄い!」と・・・
レディのお骨を小さなカプセルに分骨してもらいました。
お位牌もお願いしました。

私の最期の時もレディのように潔く終わり、凛とした態度のお骨になりたいと思いました。
レディの素晴らしい生き様を見ることが出来て感動しています。
ありがとうレディ!お疲れ様!私が逝く時には必ず迎えに来てね!

こちらのお寺での火葬は初めてで心配でしたが、
レディのことをとても丁寧に扱っていただき私たちも穏やかに見送る事が出来ました。
お寺を後にするころにはお天気になっていました。
とても穏やかないいお葬式でした。

am11:40に帰宅してレディを安置しました。



pm4:50 レディの写真を持ってアニーと散歩に行きました。
夜になって忌中払いを兼ねて出かけました。
ここでも、家族でたくさんレディのことを話しました。
レディが逝ってしまって悲しい気持ちよりも寂しい気持ちの方が日々強くなっています。
夜 レディを茶の間に安置する。みんながいるほうがいいものね。

2月7日 アニーのしつけ教室の日でした。
レディを分骨したカプセルを胸にレディの写真をもって鎌倉に行きました。
レディの骨を持っているので気持ちが安定しているようです。
いつでもレディといっしょにいられるみたいで・・・

帰りにスーパーで買物をした時に、胸が痛くなりました。
レジの横に遠赤外線の靴下を見つけたとき、この前ここに来た時にはレディはまだ元気だったのに・・・
人間用の遠赤外線の靴下でレディの保温用の靴下を作ろうかな?って思ったことを
思い出し胸が苦しくなったのです。
日常の何気ない一時にふっとレディを感じて胸が痛くなります。
一番最初は、レディが亡くなった日の朝でした。
台所に行きレディの流動食を入れていたハチミツの容器を見たときでした。
あぁ〜もうレディはいないんだ・・・と
とても辛かったです。
帰宅後レディの為に編んでいた、編み掛けのカーディガンの糸を解きました。
とても悲しい。
今夜もレディを茶の間に安置して眠りました。


2月8日 久しぶりに朝まで一度も起きることなく眠る事ができました。
日増しに寂しさが募ってきています。
am体調を崩してしまい病院に行き、薬を処方してもらいました。
病院で診察までの間にレディの日記を読み直しました。
昨年11月18日から流動食になり、1月4日に始めて吸引器を使い、1月25日の夜から痰がひどくなり
1月26日には、血便、オシッコがでない、食欲がなくなる。
1月27日から、吸引器を使用し痰を吸引しだす。
亡くなる10日前の1月25日から急に悪くなったことが改めてわかりました。
10日間どんなに辛かった事でしょう。
今は静かに休んで欲しいと思いました。
pm6:20 昨年9月7日以来のボランティアに出かけました。
ボランティアのみなさんにレディが旅立ったことを話すと
「レディちゃん良く頑張ったね。お疲れ様。」と言ってもらいまた、胸がキュンとなってしまいました。

今思えば、レディは自分で潔く逝ったと思います。
2月4日に逝こうと決めていたんじゃないか?と思います。

アニーが6ヶ月までは、頑張ってみようと・・・
主人の休みの都合とか・・・
娘の都合とか・・・
私をボランティアへ行かせてあげたいとか・・・
春になったら?って言われていたので立春ならばいいかな?・・
なんて気を使うレディならば考えていたと思います
どう考えてもあの子が決めたように思えてなりません。

レディが急変して娘を呼んだときに、娘は夢の中で弟が家に帰ってきた夢を見ていたそうです。
私は数日前に介護服を着たロッキーと一緒に歩いている夢を見ていました。
2月1日にレディが部屋の中を見回していたときに、ロッキーがいるのを感じました。

レディの生前の写真を整理していて感じた事ですが、
12月頃からレディが苦しそうに口を開けて息をしているように見えました。
かなり無理をして私たちの為に頑張ってくれていたのかな?と胸が痛みました。

2月9日 明日の初七日までにレディの最期をUPしようと朝からPCの前で
無い頭で悪戦苦闘しています。
これからも、レディのことで思い出したことを書いていこうと思っています。
レディはいなくなってしまいましたが、どうぞレディのことを忘れないで・・・
そして、今までと同じように仲良くしてくださいね。
よろしくお願いします。

           
2月15日

レディが生きていたら今日は18歳と6ヶ月です。
亡くなった子の年を数えるなんて・・・

レディが亡くなってもう10日以上になります。
生活のリズムはまだ整わず、その時の流れについていけない私がいます。
日常の何気ない瞬間にふと見回すとそこにレディの姿がありません。
18年間もいっしょにいたレディがいないのです。
頭で判っていても胸が苦しいほど痛みます。
レディがいなくなり、心に開いた穴が日増しに大きくなっています。
レディにはやるだけの事はやって見送ったつもりです。
レディが亡くなったとき、「これで苦しまずにすむ、これでらくになれる・・・」と安堵感さえあったように思います。

レディの一生は最後の最後まで立派でした。
一生懸命に生きることを教えてくれました。
生あるものはいずれ死を迎えなければならないけれど、それまではしっかりと頑張って生きなさいと教えてくれました。
レディが最後まで凛として生き抜いた姿に恥じることなく、私も自分に与えられた寿命を全うしようと思っています。

しかし、時間はたっぷりとあるのになんにもする気になれないのです。

ロッキーが亡くなったときは、悲しくて悲しくて何にもしてあげられなかったと後悔の念がいっぱいでした。
今もロッキーには申し訳なかったと思っています。
だから、レディにはロッキーにしてあげれなかった分もいっぱいやったけれど、これで良いということにはなりませんでした。

18年と5ヶ月と20日間。長い時間です。
日増しにレディを失った喪失感が大きくなり寂しさが募ります。

昨日発売の「DOG FAN」 no.14の中にレディがいます。
1月18日に取材を受けたときのものです。
その時は、雑誌の発売日にレディがいないなんて考えてもいませんでした。
ずーっとレディは生きていると思っていました。
記事を読んだ時また辛くなってしまいました。

皆さんからの励ましのメールや掲示板への書き込みをみて少しずつ心が癒されています。
私達家族を気遣っていただき、どうもありがとうございます。

2月18日 (月) 晴れ
レディが亡くなってちょうど2週間になりました。
10日間くらいは辛くて悲しくてどうしようもないほど落ち込みましたが、
「レディの空けた穴はレデでしか塞ぐことは出来ないんだ」と判ったら何だか気持ちが吹っ切れた感じです。
私が虹の橋に逝くまでまっててもらおうと・・・思ったら気持ちが楽なりました。
それに、レディに「いい加減にしなさいよ」と怒られそうで、レディのように一生懸命に生きなければいけないと思いました。
昨日、レディとロッキーの写真を持って伊豆の河津桜を見に行きました。
去年は2/27にレディといっしょに来ました。
その時、レディは床ずれが出来てはいましたがまだまだ元気でチェーンカラーとリードを付けて
人込みの中を自分の足でしっかりと歩き、ソフトクリームを食べましたっけ。
本当に老犬の1年ってあっという間ですね。
まさか今年はレディがいなくなるなんて想像もしていませんでした。
レディを色に例えると優しいピンク色です。ロッキーはスカイブルー。アニーは元気な赤だと思っています。
レディが旅立ったのが立春でした。
私の中の春のイメージは桃色、淡いピンク色、そして、今年からはレディの色になりました。
毎年、桜が咲くとここに来ていました。
きっとここに来るたびに、また、春がくるたびにレディを思い出すことでしょう。
暖かな優しいピンク色の季節が来るたびにレディを思い出して欲しいと思っています。


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